信じてくれる人がいたから、私は進めた。株式会社Waseiの話

これは本当にそうで、私にとっては株式会社Waseiの人たち、引いてははじまりは、鳥井弘文だったなと思う。

私は今32歳で、ライターを始めたのは27歳をとうに過ぎた冬の日だった。出版社のアシスタントをしていて、書いたことなんて一度もなかった。ただ「好き」で「憧れていた」だけ。

きっかけをくれたのは佐々木俊尚さんという男性と、『MATCHA』という訪日外国人向けウェブメディア。私はそこに人生で初めてライターとして参加した。そして鳥井弘文と株式会社Waseiの小松崎拓郎立花実咲たちとは、やはり『MATCHA』で出会った。

※彼らは今はそれぞれ独立して正社員の立場ではないけれど、仕事は変わらず一緒にしている。

そこから『TABI LABO』や『RETRIP』などのウェブメディアで書かせてもらって、私は徐々に雑誌の仕事もいただけるようになっていく。

その途中で起業し、一人目の正社員として雇ってやってもいいですよ、と言ってくれたのが株式会社Waseiの代表であり、鳥井弘文だった。

彼がなぜ今も私を雇い続けているのかは、世界七不思議だと思っている。結構まじで。

彼と私の関係性を一番うまく言い表したのは小松崎拓郎で、「普段はぜんぜん命令(も監視も)しないけど、日々自走する知美さんが時折壁にぶつかった時、相談相手になってくれる」が正しい気がする。

私は彼の判断を一番信頼していて、その信頼は「彼は絶対間違えない」とかじゃなくて、基本的には正しいと思っているけど、正確には「間違えても一緒に壁を乗り越えよう」という気概を持って付き合っている、というところ。

小松崎拓郎については、非常に上から目線だが「大人の男になったな」にもう尽きる。

出会った頃は休学中の大学生だった。駆け出しライター当初から、私の謎企画によくカメラマンとして快く付き合ってくれた。たぶん人生で一番一緒に旅をして、毎回同じご飯を食べて、そして毎度同じ部屋で眠っても何も起こらなかったし起こる気配すら生まれなかった異性だと思う(いい意味で)。

彼は私の写真の先生だ。そんなつもりはまったくないかもしれないけれど。私のもっとも身近なカメラマンで、まだカメラを本気で持ち出す前は、「文章・伊佐知美、撮影・小松崎拓郎」というペアは鉄板だった。

今もよくやる。彼とだから、灯台もと暮らしのよいコンテンツは生み出せた。確信してる。文章を書き終えて写真と合わせたときに、文章が二倍も三倍も輝き始めるなんて写真が撮れるのは、あいつだけだ(少し言い過ぎたかもしれない)。ちなみにパートナーの荻原ゆかのセンスは超抜群で、灯台もと暮らしのロゴから何からすべて彼女の仕事である。

立花実咲は、言わずもがな私の人生最初の担当編集者で、今も彼女の文章や感性は私の「書きたい欲」をすごく刺激する。

私が世界一周に出た2016年4月はまだ「女の子」って感じでいっぱいだったのに、「西荻窪」特集「ぼくらの学び」特集を自主的に組んで、そして取材に走り回った後、灯台もと暮らしの仕事をきっかけに「北海道へ移住します」と言い始めた頃にはオーラが別人になっていた。

今は地域おこし協力隊として北海道下川町に赴任して2年目で、気付いたら一軒家を借りてゲストハウス業みたいなことを始めたらしい。polkaで資金調達して、テントサウナ活動も始めたような……。

そもそも旅人で、中東やアフリカにカウチサーフィンで8ヶ月間とか、キューバにふらっと行っちゃったりとか、私よりも年季の入った根っからのスナフキンみたいなところもある。変なやつ。

なんか長くなっちゃったから巻いていくけど、くいしんさんは編集部の中で一番インタビューがうまい。一緒に行くといつも助けてもらってる。チーム内では唯一の年上(といってもひとつだけだけど)なので、精神的にも頼ってる。

元芸人さんだから、何が起こっても笑い飛ばしてくれるし、優秀すぎるから適切に対応してくれるのでかなり頼りがいがある。私は好きだ。

それに続く新入社員の小山内彩希は、信じられないくらいの逸材だと思う。とりあえず野球部のピッチャーで四番だったらしいので肩が強い。握力がすごい。なのに感性がびっくりするくらい繊細。まるで5月の新緑の季節の柔らかな葉の産毛一本一本を撫でて愛でて抜いてピンセットで並べられるくらいには、なんだか儚げな感性を持っている。

なのにすごい体育会系。やっぱり体育会系。顔はかわいいのにどうしてか二枚目サイドに行きたがる。花と哲学が好きだけどまずクリームソーダ特集が組みたいらしい。よくわからん。

ほかにもエンジニアサイドをお願いしているかぼちゃさんや、Waseiの公式サイトを作ってくださった「Lucky Brothers & co.」さん、文字起こしを光の速さで仕上げてくれる木村すらいむさん、おもに写真のアシスタントをお願いしている菊池百合子さんなど、たくさんの人に支えられながらWaseiと私は成り立っている。

よく、フリーランスにならないの? とかフリーランスだと思っていた、という声をいただく。私も気持ちはフリーランスだ。そもそも私はWaseiに所属はしているけれど、自分の分は自分で稼ぐし、もちろん会社の仕事もさせてもらうけど仕事も基本的に自分でつくる(のがいいと思ってる)。

一般論では「フリーランスになったほうがいい」が正解だと知っている。周りのひともそう言う。けれど本当に親しい友人たちは「知美は絶対に辞めないほうがいい。精神的にきっと崩壊してしまうから」とよく分かってくれていることを言う。

時折迷ったりすることもある、というのが本音だけれど、私は辞めない。少なくとも鳥井さんが「会社の方向性を変えるので解散しましょう」というまでは、一旦私は、Waseiの人間として生きることを決めている。

という仲間が私にはいるよ、という話でした。さらりと書こうと思って書き始めたのに、3,000字やん、結局。

※ちなみに私のインタビューは上記です。