異国を旅することで見えるもの vol.8 アユタヤへ日帰りトリップ

遺跡の町・アユタヤへ行くのは2回目で、1度目は父と母と訪れた。2回目は、沖縄在住・編集者のあいばさんと、古性のちと、バンコク在住のあいばさんの弟、そして彼のお友達と私の5人だった。正確には、アユタヤの先の「アントン」という田舎町が最初の目的地。久しぶりに、Instagramでもグーグル検索でも、とにかく情報が見つけられない場所へ車で向かう。

本当は、行くつもりじゃなかった。締め切りをいくつか抱えていたし、シェアハウス「えいとびたー」の解散noteが描きたかったし、来春に向けての旅カレンダー作成のための素材を揃えなければいけなかったし、「#旅と写真と文章と」のプロジェクトを進めるのも可及的速やか案件だった。

でも、あいばさんや古性のちと遊べる時間も、貴重だった。私はその日の夜、バンコクの成田空港的立ち位置・ドンムアン空港からスリランカ・コロンボ空港までのフライトを控えていたから、「夜、空港まで車で送って行くよ」という言葉の甘さに、つい「行く」と答えてしまった。そのすべてのやりとりが、楽しかった。

旅に出ると、なんだか自分の身の回りのものが全部、軽くなった気持ちになる。軽く、というのはまだ「遠い」表現で、もう少しぴったりくるものがあるはずだ。なんだろう、「要らないものが、わかりやすく浮き上がる」という表現の方が、「近い」感じがする。

「いつもの暮らしを離れても、生きられる」という体験は、私たちの日常にへばりついた何やかんやを、ぺりぺり、という音は立てずとも、剥がし始めてくれる。もちろん、「お金がなくなったらどうしよう」とか、「今大切にしているものを、失ってしまったらどうしたら」とか、不安要素も多少は増える。けれど、「こうでなければならない」と無意識に前提に敷いてしまっている「土台」を、自分で自分を縛ってしまっている「決まり」を、「もしかしたら、そうじゃない人生もあるんじゃない?」と優しく気づかせてくれるのが、私は旅先の日々ではないかと思っている。

たとえ、戻った先で同じ道を選ぶとしても。「選べた」「選んだ」という自負が、日々を豊かにすると信じている。

観光を終えた後、ひとしきり5人で笑って美味しい食事をいただいた後。私はひとりで、ドンムアン空港のエアアジアのチェックインカウンターへと向かう。20時20分発の飛行機だったけど、到着したのは19時少し前だった。ギリギリ、にもほどがある。

ここからはひとり旅。スリランカ旅の助走のような2泊3日を過ぎて、コロンボへと飛ぶ。「旅と、生きていきたい」「書くことで、生きていきたい」と言い続けてきた5年間を、静かに振り返りたかった。へばりついているものが一体何なのかを、ひとりで、きちんと自覚してきたかった。もしかしたら、この2週間が、この先の私の行動を変えてくれるかもしれないと、心の隅で期待してしまいそうになる。