こんにちは「移動しない日」 vol.11 旅に求める何かが変わってきた

旅に出ると、本当に毎日がめまぐるしい。「何もない」ということは「何でも受け入れうる」ということだし、「予定がない」ということは「なんだって出来る」ということも示唆している。つまり、偶然の出会いや「流れ」に身を任せようと思えば、どこまでへだって行けてしまうということ。

キャンディに着いた私は、早速なんだか疲れてしまって、最初の夜は18時前にシャワーを浴びて、メイクを落として、食事をとってから仕事をする腹づもりでいた。けれど、まず静かに過ごそうとしていた夕飯は、ホテルのオーナーがとても日本人を好いてくれていることからご一緒することになったし、カナダから来た家族の小さな娘さんの誕生日だということで一緒に風船を膨らまして、ケーキに火をつけて、共に「ふーっ」とかしたりしていた。その上、スイスから来た旅人がしきりに話しかけてくれて、夜風に吹かれながら一緒にマンゴスチンをかじったりしていた。結局眠れたのは24時過ぎだったし、片付いた仕事はゼロ、とまではいかないけれど、0.5くらいのものだった。

次の日は、とくに何もしたいと思っていなかった。たまっていた原稿の締め切りが近づいていたから、とにかく仕事がしたかった。けれど興味のあったアーユルヴェーダのドクターが今日なら会えるかもしれないということで、ローカルの人が通うアーユルヴェーダ医院に行って、その帰りに、街一番の寺院で、この寺院をみるために世界中から観光客がやってくるという「Temple of the Sacred Tooth Relic」で夕刻セレモニーがあるから。と結局そこへ連れて行ってもらったりした。ええと。今回は、Airbnbの個室ではなく、ローカルの人が最近始めたという小さなホテル……というか自主的な民泊みたいなところで、過ごしていた。人情に溢れていて、なんというか旅っぽい。

街中の移動は、基本的にはトゥクトゥクを所望している。窓がなくて、開放感に溢れていて、私は好きだ。信号で止まった時、緑豊かなジャングルを背景に、男性が「ジャックフルーツ」なるものを剥いていた。初めて見るフルーツだったので、じい、と見ていたらドライバーが「買ってやるよ」となぜか一袋くれた。それはまるで肉厚の花びらを食べているようで、マンゴーが手で簡単に触れるくらいまで乾いた、みたいな見た目と甘みがして、とにかくとても美味しかった。

本当は、ジャックフルーツを二つに割ったものをビニール袋に無造作に入れて、「ほらよ」ともらったんだけれども、剥き方が全然わからなくて、また、じい、と見ていたら、「剥いてやるよ」と大人の男性二人掛かりで剥いてくれた。なんという、おもてなし。

夜が明けて、昼間になって、夕暮れが綺麗で、そしてまた夜がくる。夜風は気持ちがよく、水は冷えているのが気持ちよくて、シャワーはお湯を出さなくても、水なはずなのに生ぬるくて夏だな、と思う。

スリランカ・キャンディ。割合、気に入った。2泊だけ試しに、と思ってBooking.comで予約した今の宿を、もう1泊延泊させて、とさっき頼んだ。「いいよ」と返事。1泊、1,500円くらい。安い。食事は、贅沢に外食しても250円くらいのものだった。外国人が足繁く通うような、洋風、と言えるカフェやレストランは、そりゃ1,000円超えたりするけれど。物価はとても安く感じられた。

明日こそは、終日仕事をしよう。そして明後日、出来ることならシギリヤロックへ。どうしようかな、バスを乗り継いで行こうかな、タクシーをチャーターしようかな。トゥクトゥクをもし借りられたら、別に自分で運転して行ってもいいんだけれど。さすがに危なそうだから、バスに、しようかな。